「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一翁は、次の一万円札の顔となる。その渋沢は、実は「ノーベル平和賞」候補に2度もなったことを知る人は少ない。    

 1927年頃、米国では日本人移民排斥運動が深刻化していた。日米関係の悪化を憂えた米国人牧師グループが友好の証に日本の「ひな祭り」に向けて「青い目の人形」1万3000体を贈った。渋る政府を説得したのが渋沢で、「日本国際児童親善会」を組織し、結果、人形は外務省が受け取り文部省が全国の学校に配布するところまできた。     

 この人形たちはしかし、日米開戦(1941年)で悲しい運命を辿る。「敵性人形」と廃棄運動が起こり、竹槍で突かれ、火に焼かれた。それでも潜伏キリシタンの十字架のように心ある人々が300体をひそかに保存。平和の象徴として今では福岡県嘉麻市などに残る。     

 実業家としての渋沢栄一は「公益」を重視し、「道徳と経済の両立」を懸命に唱えた(著書『論語と算盤』)。真の成功とは「道理に欠けず、正義に外れず、国家社会を利益するとともに、自己も富貴に至る」と説いた。               

 (「西日本新聞」朝刊、1月10日)