「馬毛島(まげしま)の父」と呼ばれてもよいその人、「立石勲」氏が亡くなった。        鹿児島県種子島の西側15キロに浮かぶ小さな小島「馬毛島」は、この30数年、地元において、いや日本と国際社会においても大きな紛争の場所となってきた。日本の南西方面における防衛、安全保障の要衝地点で、中国の対日侵略、台湾有事が現実となった今、その重要度は図り知れない。        

 立石氏はその鋭い知略と実業家の勘で、早くにこの無人の島を買い取り、今日を見越して開発を進め、飛行場建設までを試みた。当然に多額の建設費が掛かる、多くの金融機関、民間人との金銭的関わりが絡む。遂には国(防衛省)との紛争、並行して金銭貸借での民事紛争は複雑を極めた。立石氏は、類い稀な海洋工学技術を身につけていた。羽田空港や硫黄島、沖ノ鳥島などの海洋埋め立て工事には、目立たないが、実は大きな役割を務めてきた。それ故に、馬毛島への開発、その執念には動物的勘以上の自信を持っていた。        一方で、彼のおおらかな性格は、大物実業家には有りがちな、細かい事務作業には必ずしも向いていなかった。自由奔放、時には支離滅裂、金銭の貸借、法的処理に疎かったことが、彼の強烈な個性、毀誉褒貶(きよほうへん=社会的評価)とともに、本件が後々まで複雑に混迷する大きな原因となった。        

 令和元年(2019年)11月末、国と立石氏(タストンエアポート社)は売買契約を締結して、所有権は正式に国に移った。今この島は、防衛省、さらには日米安全保障条約による米軍にとって、枢要な南西防衛の要衝として、軍事的な本格調査が進められている。かの中国も密かに食指を伸ばしてきたという事実を思う時、その重要性を思わないものはない。        

 確かに私は、最後の2年、深く関わった。最初は弁護士として民事相談から始まった。国家的重要性に気付いた以上は、私も本気で取り組んだ。大臣職と並行したため、行動には特に慎重を期した。彼に売却の最終金額(160億円)を呑ませるには、本当に苦労したが、彼は遂に折れてくれた。(なお、未だ、民事を中心に残務整理はだいぶ残っている。)        遺影の前に佇み、私は心から労を労った。そして、立石さん、あなたの銅像は必ず建てるからね、二人の約束だからね、と呼び掛けた。「馬毛島の父、立石勲」、享年89歳。