6月4日、今日は「天安門事件から32年目」という。中国にとって重大な歴史事件であったが、実は日本にとって、そして国際社会にとっても、大変な事件であった。世界史的にも大きく記録される。世界最大の人口を抱え、未だ貧困の中で喘ぎ、はるかに被援助国にあった中国が、米国と覇を争う世界の政治経済大国に躍り出るとは誰が予想しただろうか。     

 1989年(平成元年)、私は選挙運動の最中にいた。3年前の落選を雪ぐために懸命であった。天安門事件は、学生運動、大衆デモを戦車や武力で抹殺するという、共産党と共産主義の残虐さは、テレビ放映で瞬く間に世界中に広まった。各国の国民運動、民主化運動に火を点けた。ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、東ドイツの共産勢力が倒れ、ソ連にも民主革命へと民主化の嵐が吹き荒れた。     

 日本にも影響が来ぬはずはなかった。折りからの内政、世論感情にも大変化を与えた。私は、地元では(中選挙区制、神奈川県)にて、共産党現職候補と熾烈に末席を競り合っていた。いつしか私は「皆さんは、共産党を選びますか、原田義昭を選びますか」、「共産党か原田か」という選択を有権者に厳しく迫っていた。それかあらぬか、私はぎりぎりに滑り込み、初当選を果たした(平成2年2月)。      

 爾来私は自分の政治へのスタートは、まさに天安門事件の多くの犠牲者、引き続く世界の民主革命者の尊い犠牲の上に立っているという意識を強く持つようになった。それ故に私は政治家として終生、「世界の民族の人権を守る」を原点として発言し、実行することとしています。せめてあの人々の鎮魂に応えようとしているのです。